福島訪問④「自分の為に、そしてみんなの為に。」
こんばんは。福島~西宮つながるプロジェクト担当、銭谷です。
だんだんと秋を感じる日が増えてきましたね。
福島訪問報告、第4回は「自分の為に、そしてみんなの為に。」です。
ふるさとと新たなコミュニティ(居場所)づくりをテーマにお話します。
私たちは4日間通して、大切なふるさとの為に声を上げる。みんなの為に居場所を作る。来てくれる人の為にお店を開け続ける。そんな方々に出会いました。
まずは、道の駅 ふくしま東和の方から「肉うどんがおいしい!」とご紹介いただいた、二本松市にある川崎屋食堂。
何者かわからないような私たちの突然の訪問にも関わらず「遠い所からよく来たね。ゆっくりしていってね。」と、100年の歴史を持つお店についてや今も開け続ける熱い想いを話して下さいました。
手打ち麺の肉うどん。福島ではラーメンやうどんに、いんげんが添えられている事が多いそうです。
奥さまが「これも食べてけ」と出して下さった、2日間かけて煮詰めたいんげんの甘辛煮。
しそ巻き。パリッとしたシソの葉に甘めのお味噌が巻かれていて、ご飯が欲しくなる福島の味。
福島最終日には、復興公営住宅「石倉団地」へ伺いました。
自治会を担われている3名と、復興公営住宅のコミュニティづくりをされているNPO法人みんぷくさんから2名、ふくしま地域活動団体サポートセンターの遠山さんが来てくださいました。
石倉団地は全部で6棟あり、200名以上の方が暮らしています。
復興公営住宅は一生の住まいとして位置づけられていますが、実際は、住民の方の多くがふるさとに帰れていない空虚感を抱えているのではないかとお話を聞いて感じました。
一度築かれたコミュニティが避難先の移動によって解体される経験を何度もすることで、身体的にも精神的にも悪い影響が出てきてしまう。この状況ではみんなの輪に入っていく力、ましてはみんなの先頭に立ち引っ張っていく力など無くなってしまうのは当たり前の事だと改めて思いました。
私たちの生活の中にはPTA会長や役員など、できれば引き受けたくない仕事が沢山ありますが、前に立ってくれる人たちがいるおかげで成り立っている。関わらないとそれはわからないけれど、見えない所で自分の暮らしは支えられているのだと気付かされました。
上の写真は、敷地内にある広場でグランドゴルフをしている写真です。
伺った日は本来グランドゴルフをする曜日ではなかったのですが、自治会長田村さんのご配慮で、住民の皆さんが集まってくださり、普段の様子を見せていただく事が出来ました。自治会の運営者である高木さんに手を引いていただき、私もグランドゴルフに参加しました。
最後に、原田時計店の店主 原田雄一さんにお話を伺いました。
原田さんは浪江町ご出身で、浪江町商工会長を務められていた方です。
東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、ふるさとの浪江町から突然避難を余儀なくされました。ご自身も大変な状況の中、町民の絆をどのように保っていけるかを考え活動されてきました。
原田さんは当時、町民が各自でバラバラに、避難する地域を決めるのではなく、浪江町で培ってきたコミュニティを守る為にみんなでまとまって町ごと避難する方法を提示し、みんなで帰る必要性を町長に対して何年も訴え続けました。
しかし、町長から許可がおりる事はなく、現在は考えを言う気力が無くなってしまったとおっしゃっていました。
人々を悩ませ、分断させているのは、決して放射能汚染だけではないと感じました。
また、原田さんご自身は現在二本松市を拠点に生活されていますが、ふるさと(浪江町)に帰ってきていないのに、わかったことを言うなというような空気があると伺いました。
生まれ育った場所へ帰る見通しが立たない状況でも、生きていかなければならない。
原田さんは「ふるさととは何か」を改めて考え、ふるさととは人との心のつながりであり、「今いる地域でみんなと支え合って"ふるさと"と思える場所を一緒に作りたい」と教えてくださいました。
突然避難しなければならない状況、私には想像する事も難しい部分がまだ多く残っています。
まだ帰れていない人が3万人いる。帰宅困難区域がある。事実は知っていたけれど、実際目の前にすると言葉にできず、追いつけず、聞けなかったことが沢山ありました。
ですが、共通して感じたのは、「自分の為に」に留まらず、周りの為に動いている人によって私は支えられているという事です。
簡単にはできないけれど、誰かの為に動ける人でいたい。そう思いました。
以上で今日のブログは終わります。
明日はマルシェの日です。ブログはマルシェの様子を上げたいと思います。
その次の第5回福島訪問報告は、次の世代へと伝わる歴史についてお話したいと思います。
長くなりましたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
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